私は100点満点中1点を目指さなければならない

雑記

「悪い意味で完璧主義な人は、100点ではなく70点でいいという考えを持つといい」なんて解決策があり、これはかなり有効な価値観の変え方だと思います。

しかし、私はこれであまりうまくいきません。100点設定の時と同じく「70点にすら届かない、これならいっそ0点の方がいい(記事を公開しないなど、実質何の行動もしない)」となってしまいます。30点にしてもダメで、現在では1点を目指すようにしています。それでも「これは1点どころかマイナスだ」と公開ができずにいる文章や絵、未完成のものは何十とあります。

これは私が攻撃的な考え方と、臆病な感じ方、そして自分を棚にあげられないことで起きる行き詰まりです。

例えばスーパーに買い物へ行くにも、私には多大なストレスとなります。

キュウリを買おうとすれば、目の前の人が一番いいキュウリを探してたくさんのキュウリを手に取ってはどかし、別のキュウリを吟味し続けています。

それに対し、攻撃的な考えが浮かびます。「邪魔だから早くどいてほしい」「包装されてないものをベタベタ触って戻さないでほしい」など非難的な考えです。

この考えの「攻撃」は(少なくとも意識的には)声はもちろん態度にも出しません。しかし消えて無くなるわけでもなく、さらには私自身に向かいます。「じゃあ包装されたのを買え」「文句があるなら買うな」「あの人がやってることは普通のことで、おかしいのはお前(私)」と、他の人に対するものより激しい総攻撃です。「包装されたものは数が多く、消費期限や価格の面で…」などの言い分もありますが、これらの言い合いでは常に攻撃側の圧勝です。

そして、自分のことを棚にあげられないために、自分が手に取った包装されていない商品は「やっぱりやめよう」と思っても戻せません。買うしかないのです。

これらの思考によって、私は常に満身創痍かつがんじがらめで限界であり、他人から追い討ちを受ければ年単位でダメージを受け続けますし、それどころか日常会話でさえダメージを負うことの方が多くあります。

ここまでの文章も私の「攻撃思考」が読めば袋叩きにできるでしょう。そして、そんな攻撃が可能であると知っていたところで、攻撃への回避・防御手段は持てません。常にダメージを受け続け、いつどこから致命傷を与えられるかに怯えています。これを解決する方法があるとすれば、全ての記憶を失う…だけでは足りず、価値観も全く別のものになる。つまり私が私である以上はどうしようもない、ということに行き着くのです。

そこでほんの少し、しかし確かに効果があるのが「1点を目指す」ということ。

100点満点の10点もむずかしい、でも1点ならなんとかなるかもしれない。それが支えとなり、完了できた仕事も数十件、あるいは数百件あります。

「マイナス(有害)よりは0の方がマシ」という攻撃思想も強く、これはかなり強力な行動抑止力になってしまっているので、「0であるくらいならマイナスの方がいい」と考える必要があるかもしれません。これを上手く作用させられたら、人から感じる不快感はもちろん、自分自身に向かう攻撃思考も和らげられるかもしれません。

文章を書きながらも「マイナスを容認するな」という自らの攻撃思考に早速刺されていますが、もしかすると1点にも満たないかもしれないこの文章が誰かの助けになることを願い、公開ボタンを押下します。

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