※当記事は、すべて筆者の独自解釈による内容です
※当サイトでは、基本的に合成音声全般を「ボカロ(ボーカロイド)」または「ボイロ(ボイスロイド)」と呼称しています
ちっちゃな私
「ちっちゃな私」とは、マサラダ氏作曲 重音テトボーカルのボカロ曲である。
「私」が歌ったあと、「ちっちゃな私」が非常に高い声で繰り返すのが特徴的。あまりプロや人間のシンガーは出さなそうな、ボカロらしい曲だ。
公式動画
Amazonミュージック

ちっちゃな私
概要(物語性)
MVでは見ようによって中学生にも高校生にも大学生にも社会人にも見えるし、女性的だが男性に見ることもできる。共感しやすい。
中学生以上ともなれば、自認としてはもう幼稚な子供ではなくて、年齢相応にふるまわないといけない(と、多くの人が思っているし、社会や周囲にそう求められている)。
それでも、人は幼い頃と根の部分は変わらない。いくら大人でも、人には子供の頃の自分がいる。(心理学的にはインナーチャイルドという)
大人は「かなしい」とか「やめたい」と簡単には言えない。それに慣れると、自分がそう思っていることにも鈍くなっていく。だけど自分の中の「ちっちゃな私」は子どものように素直で、「かなしい」「やめたい」と思っているし、言いたい。
飛んでったらよかったのにな

自分はもっと大人でなければならないと我慢している人は、ちっちゃな私を受け入れられない。いなくなってしまったらいいのにと思う。
だけど心を殺そうとしても、立派なオトナになろうとしても、人はそううまく心を変えられない。
ちっちゃな私は、ずっと自分の中にいる。
私「泣きたい?」ちっちゃな私「泣きたい」私「そっか」ちっちゃな私「そうなのよ」

歌の中には、ちっちゃな私と対話するシーンがある。
「悲しくなった?」「恥ずかしかった?」「泣きたい?」「やめたい?」
私の問いに、ちっちゃな私は「悲しくなった」「恥ずかしかった」「泣きたい」「やめたい」と答える。
ちっちゃな私は、「本心」とも言いかえられる。
ちっちゃな私を受け入れる

自分が押し殺している我慢を、わかわらなくなっている本心を聞いて、それを自覚すること。そして、このシーンのあとMVでは私が「ちっちゃな私」を抱きしめ、「ちっちゃな私がずっと胸の中にいる」という歌詞が続く。
これは実際に効果のあるセルフカウンセリングでもある。どれほど恥ずかしい、幼稚だったり倫理に反するものだったりする本心を認めること。なくせるわけでもないのになくそうとしないこと。それが自分を受け入れること。
「ちっちゃな私には全部全部大きすぎて」「今日を繰り返す」

受け入れることができた。
だからといって世界は変わらない。
ちっちゃな私は今日を繰り返す。ちっちゃな私自体は、成長しない。
変わったのは、自分で自分を否定しなくなったことだけ。
でも、それだけのことが、とてもとても大事なこと。
ちっちゃな私
Amazonミュージック

ちっちゃな私
関連リンク
同作曲者ヒット曲:ライアーダンサー/重音テトSV
作曲者:マサラダ – YouTube
当サイト カテゴリ:ボカロ
他の作者の曲:みむかゥわナイストライ – らく百科
© マサラダ