【ウマ娘】競走馬アイネスフウジンを調べてみた【元ネタ】

ウマ娘

あまり詳しくないなりに、データを集めてみました

データの見方すら間違えているかもしれません、競馬も詳しくありませんので参考程度に…

出典は基本的に、記事末尾にリンクをまとめています

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ウマ娘アイネスフウジンは2022/5/10実装

以前からキャラクターとして登場はしていましたが、育成ウマ娘として実装。同じく、ミスターシービーもサポートカードとして同時実装です

馬・競走馬としての特徴

現役年代、戦績など

  • 現役:1989〜1990年
  • 死没:2004年4月5日、17歳
  • 通算成績:8戦4勝
  • 獲得賞金:2億3600万円
  • 適正:芝
  • 脚質:逃げ
  • 経験距離:1600〜2400(短距離〜中距離)

▼距離参考

  • 短距離:1000〜1400m未満
  • マイル:1400〜1800m
  • 中距離:1800〜2800m未満

主な成績

(上ほど新しい)

デビュー戦から2連敗して初勝利後は重賞で輝かしい成績ばかり。日本ダービーを制してる強者でした

1990年5月:GI 東京優駿(日本ダービーのこと)1着

1990年4月:GI 皐月賞 2着

1990年3月:GII 報知杯弥生賞 4着

1990年2月:GIII 共同通信杯4歳S 1着

1989年12月:GI 朝日杯3歳S 1着

1989年10月:3歳未勝利戦 1着

1989年9月:3歳新馬 2着

1989年9月:3歳新馬 2着

黒鹿毛

競走馬シンボリクリスエスは黒鹿毛という黒毛の子

実装・情報公開済みウマ娘のモチーフで黒鹿毛の子は下記

  • ヒシアマゾン
  • ヒシアケボノ
  • アイネスフウジン
  • ウイニングチケット
  • エアシャカール
  • スペシャルウィーク
  • ニシノフラワー
  • ライスシャワー
  • シンボリクリスエス 他

父母、子供

父:シーホーク

母:テスコパール

母方の祖父:テスコボーイ

  • 子供:374頭(以下、好成績順。TOP2頭のみ情報追加)
    • ファストフレンド
      (牝馬(メス)、38戦15勝、獲得賞金6億6126万円、1994年あたり)
    • イサミサクラ
      (牝馬(メス)、32戦6勝、獲得賞金1億5717万円、1992年あたり)
    • エレガントモア
    • ヘッドライン
    • ダイフウジン

兄弟姉妹叔父叔母で私が知っているウマ娘・競走馬はいませんでした

ウマ娘アイネスフウジンがアルバイトをしているのは、生産者ネタ

競走馬を生産していた中村吉兵衛さんは「借金を抱えない」と言う経営方針でした

優秀だった競走馬の子供に優秀な子が多いからこそ、引退後は種牡馬(たねぼば)、繁殖牝馬(はんしょくひんば)として子供を残す立場に変わります

そんな「親」が重要な世界、借金をして優秀な親を用いなければレースで勝つのは難しい

レースに勝てる競走馬が出ず、借金をしないことでむしろ倒産の危機になったそう

だからウマ娘アイネスフウジンは、双子の妹2人がいて家計の足しにとアルバイトをしているキャラクターになったと思われます

双子の妹とは?

競走馬として双子の妹がいました

それがリアルカストールとリアルポルクス母親がアイネスフウジンと同じテスコパールです

netkeiba.comさんで記録を見る限り、二頭とも4歳未勝利2戦で終わっているようです

リアルポルクスはどちらも16着(片方が16頭出走、もう片方は18頭出走)

ゲームでは、妹2人ともウマ娘でした

イラストレーター兼漫画家の坂崎ふれでぃ様のツイートで「確かに」と感じたのですが【双子は未熟児になるため競走馬デビューできたこと自体がすごい】という内容がツイートされていました

ウマ娘としての情報(身長など)

※データは2022/5/10時点、判明している79名

身長・スリーサイズと平均比較

ウマ娘身長バストウエストヒップ体重胸÷身長
アイネスフウジン167(10位)88(17位)58(61位)84(29位)微増(ちょっと食べすぎた?)52.7(35位)

※身長・バスト・ヒップ・胸÷身長:大きい順。ウエスト:細い順

背とバストは大きい方。ウエスト58はヒトで言うなら細いほうなんですが、トレセン学園のウマ娘に限定すると太い方です

身長・スリーサイズが同じウマ娘

  • 身長167cm
    • オグリキャップ
    • シリウスシンボリ
オグリキャップ 身長167cm
  • バスト88cm
    • ゴールドシップ
    • エイシンフラッシュ
    • ウイニングチケット
ゴールドシップ バスト88cm
  • ウエスト58cm
    • ナリタブライアン
    • マルゼンスキー
    • エイシンフラッシュ
    • エルコンドルパサー
    • ゴールドシチー
    • シンボリクリスエス
    • ツルマルツヨシ
    • フジキセキ
ナリタブライアン(右)ウエスト58cm
  • ヒップ84cm
    • サトノダイヤモンド
    • トーセンジョーダン
    • グラスワンダー
サトノダイヤモンド(右) ヒップ84cm

▼身長など一覧

声優 嶺内ともみ:出演作の一部

サンフランシスコ(アズールレーン

UMP45(ドールズフロントライン

火焔猫燐(東方ダンマクカグラ

イルル(小林さんちのメイドラゴンシリーズ

ライバル

「メジロライアン」

アイネスフウジンが1着をとった日本ダービーではメジロライアンが2着

4着をとった報知杯弥生賞ではメジロライアンが1着でした

ストーリーに反映されそうな史実と、一部育成シナリオ

生まれる前

生産者が借金をしない経営方針。

高い=強い親を用いることがなく、レースで勝つ競走馬が生まれなかった

それにより、かえって倒産間近の状態に。

強い血が入る

農協が所有するため、優秀なのに種付け料が安いテスコボーイ(アイネスフウジンの祖母)を用いる権利に当選し、強い血統を得ることができた

母、テスコパール死亡の危機

アイネスフウジンの母テスコパールは期待されていたものの、2歳の頃に獣医師が匙を投げるほど衰弱

もう助からないと言われたのを受け、生産者の方は診療所から牧場へ強引に連れ戻し「助からないなら、好きなものを食べさせてやりたい」と考えます

診療所で制限されていた水や餌を、テスコパールが好きなだけ食べさせるようにしました

するとテスコパールは3歳の秋には他の馬と同じくらい元気になるまで回復

競走馬としてのデビューは断念しましたが、繁殖牝馬としてアイネスフウジンたちを出産。アイネスフウジンは7番目の子供でした

幼い頃

アイネスフウジンの幼名は、両親テスコパールとシーホークを合わせた「テスコホーク」でした

競走馬は幼名と言って、競走馬としてデビューするのとは違う名前をつけられるそうです

大活躍した競走馬の名前そのままは使えませんが、有名にならなかった名前なら、親と子で同じ名前を使えるからでしょうか。

例えばシンボリルドルフの幼名が「ルナ」なのが可愛すぎる、と二次創作においてちょくちょくネタにされています

デビュー初期

3歳でデビューし、2ヶ月で2連敗

その2ヶ月後に未勝利戦で初勝利をおさめました

重賞

初勝利後はGIII以上のみに出走

GIII 共同通信杯4歳ステークスでは雨が降る中の出走

レース展開を経験させるため、意図的にスタートで出遅れたがスピードが違いすぎて結局逃げでの勝利

機種の中野さんは「スピードが他馬と違う。おもいきって逃げる」と宣言したことも。しかしその時のレースでは他馬の斜行と接触により、2着に敗れます

敗戦により、騎手の中野さんを降板させる声もありましたがコンビ続投が決定。

しかしアイネスフウジンの消耗が皐月賞で大きかったことから、二週間の休養を与えられました

三強

メジロライアン、ハクタイセイ、アイネスフウジンは皐月賞で1〜3番人気をしめ、三強と呼ばれていました

来場者数19万6517人の日本ダービー

ラストレースとなる東京優駿(日本ダービー)では、19万6517人が来場

これは東京都府中市の総人口なみで、当時の世界レコードだったそう

また三強が揃いましたが、アイネスフウジンは負けがこんでいたためメジロライアンとハクタイセイに1〜2番人気をゆずり3番人気

逃げ続け、後ろからせまるハクタイセイ、メジロライアンたちに抜かれないため、加速を続ける

そのまま2着のメジロライアンと1馬身4分の1をつけて、日本ダービーのレコードタイムを記録

1988年にサクラチヨノオーが記録したレコードタイムを1秒も更新しました

1秒は5馬身から6馬身に相当します

圧倒的なスピード。2着のライアンも1着であればレコードタイムだった速度ということになりますね

全力を尽くしたレース後

力を出し尽くしたアイネスフウジンはゴール後につまづくほど疲れ果て、他の馬が小走りになる一般的な移動ができず歩いての移動になったほど

レースが終わってから数分たっても、多くの観客がゆっくり退場していくアイネスフウジンを見守り続けました

普通、レースが終わったらすぐ退場する方が多いのに

ウマ娘シナリオでも全力を尽くしてウィナーズ・サークルへ行けませんでした

しかしトレーナーが肩を貸すことで史実を覆し、アイネスはウィナーズ・サークルへ。こうして史実と違う未来に行けるのもウマ娘の魅力ですね

ナカノコール

素晴らしいレースによって、観客からは手拍子と「ナ・カ・ノ!ナ・カ・ノ!」と大きなコールが起こりました

これは「ナカノコール」と呼ばれ、アイネスフウジンのエピソードの中でもかなり大きくファンの印象に残った出来事のようです

ウマ娘の育成シナリオでは「アイネスコール」として再現されました

引退・その後種牡馬として

一度は種牡馬からも引退を考えられたものの、娘のファストフレンドが勝利を飾ったことで続投。

2004年4月5日に、腸捻転(腸がねじれてしまう)のため、17歳で亡くなりました

アイネスフウジンが日本ダービーで記録したレコードは、1999年にアドマイヤベガが同タイムを記録し、亡くなった2004年にキングカメハメハが更新しました

近い時期に公開されたウマ娘も調べてみた(シンボリクリスエス&コパノリッキー)

参考サイト情報など(外部サイト)

アイネスフウジン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アイネスフウジン netkeiba.com

リアスカストール netkeiba.com(双子の妹)

リアルポルクス netkeiba.com(双子の妹)

アイネスフウジン ウマ娘プリティーダービー(公式)

嶺内ともみ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

着差 (競馬) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

▼身長やスリーサイズ一覧。二次創作やファンアート、妄想のお供に

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